感性を育てるESD

感性を育てるESDの中には、行動化を促すことが目的の場合

(授業や取り組みの)後半で生き方にあこがれる人物との出会いや協働体験が

子どもの生き方に与える影響は大きいと言われています。

今から20年近く前の話、私がまだESDを知らなかった頃

「そう言えばこの時のことかな?」と、思い出したのでメモとして残しておきます。

 

 

とある連携拠点施設の事務局を運営していた頃、突然、近所のやんちゃ小学生(4年生と5年生)の2人組が毎日施設に来る様になりました。

この日もいつもの様にやってきて、施設内を散々暴れ回り、退屈するとハンディゲーム?(名称失念)を一緒にやれと強要。

後から聞いたのですが、そのやんちゃぶりは近隣の児童館でも手をつけられず、近所からも「迷惑な子供達」と陰口を言われていた様でした。

取り急ぎ、他の利用者の邪魔にならない様、「ちょっと(淡水)魚の調査に行くけど、来るか?」

(今考えるとコンプライアンス的にアウトですね)と、声をかけ、車で近くの水路に出掛け、一緒に魚つかみをしました。

子供が住む近くには自然農法の田んぼが多く、支流や水路には貴重な魚種もたくさん生息していましたが

他の子達も、学校も、家庭も、その地域資源の豊かさには気づいていなかった様でした。

私が目の前で順調に掬い上げるのに対し、子供達は慣れない手つきの中で一向に掴まえれる気配はなく

挙句には散々川の中で暴れ倒し、ずぶ濡れのクタクタになりながら

「どうして、リーダー(私の事)ばっかりなん!ずるいわ!!」と悔し泣きする始末。

一旦、施設に戻り、子供達には「みんなの住んでるすぐ近くにはこんな魚たちがいるのをみんなに知ってもらいたい事」

「魚達がすんでいる環境の事」、「掴まえた魚は最後まで面倒を見る事」等、最低限のことを話して、その日は解散しました。

  

次の日、魚が取れなかった事がよほど悔しかったのか、今度は川に入る気満々の格好で再登場の2人。

その日から、ほぼ毎日、施設に来ては、私と一緒に水路で魚つかみの実践が始まり、

続けてる間にいつのまにか子どもたちも魚を同定できる様にまでになりました。

これは私1人で対応していた事でなく、その施設に集まる多くのNPOさんや個人の方々との

日々のコミュニティ(対話の機会)があったからこそ、成し得たことかと感じています。

子ども達の熱心さに、周りの大人も感化され、学校が休みの期間は色んな場所にその子ども達は同行し

(保護者同意、保険加入、安全面配慮)様々な地域で沢山の魚達を見つけ、色んな大人との対話や他の参加者(子供や大人)へのレクチャー等を

重ねる中、ある日、その子ども達の活動が某自然保護系団体と博物館に評価され、「お魚博士1号、2号」として表彰される迄に至りました。

過去、近所で煙たがられた子供達は、今は近所の人達に「〇〇君、新聞見たよ!おはよう」と声をかけられ

照れながら自分達が評価される事の喜びを実感した様です。

その後は素行もすっかり落ち着き、ゲームもせず、学業にも集中する様になり

施設に来る大人達と楽しそうに話す様子が見られる様になりました。

  

ひょんな事でスタートしたこの支援ですが、中でも学びのプロセスの後半に

多様な大人達との出会いや対話、難しい局面を協働で乗り越える機会等が

あると、子ども達の行動変容は一気に加速するのではと感じています。

今回は有り余るエネルギーを持つ子ども達だったので、この様な支援内容になりましたが

沢山の子どもが集まる学校の中では、ここまで繊細な対応は難しいとも感じています。

そう言う点でも、地域の色んな場所や機会が子供達の学びとなり

その時に芽生えた子どもたちの興味や意欲を妨げない様

拠点がうまく繋がりを作っておき、それを運用し、地域全体が子供達の知りたい、聞きたい、学びたい意欲を支えていく

そんな市町が一つでも増えるといいなぁなんて考えています。

 

(この支援では、実際にはもっと沢山のいろんな出来事がありましたが、今回は忘れない程度のメモとして端折って記録しておきます)

 

    

   

   

それから数年後

私が施設運営を離れることになり、駆けつけてくれた成長した彼らから

「大人になったら、リーダーみたいになりたい」と言ってくれた言葉は、今も励みにしています。

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